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治安・犬・事故

治安・その他の危険


さて、久しぶりの記事になりますが、ここでは治安、その他の危険について記してみます。

先ずは治安。

これは行く場所にもよるでしょうし、また、サイクリストとして中国を走るのと、観光客として旅行するのでも少しは

変わってくるかも知れませんが、僕が今回、上海からカシュガルまで走った中で、自分の肌で治安の悪さを感じる事は

一度もありませんでした。

もちろん、「ちょっとこの場所はあまり良い感じがしないなぁ」、なんて感じる場所もありはしましたけど、現地の人に何かを

貰ったり、勇気を貰ったりする事はあっても、何かを盗られた事も無ければ、盗られそうになる事もありませんでした。

何か嫌な思いをしたとすれば、何度か宿代をふっかけられたくらいの事です。

その他にある身近な危険と言えば、犬と、後は交通事故でしょうか。

サイクリストにとって、野犬は本当に大きな不安材料のひとつですよね。

以前の記事でも触れましたが、僕自身、前にタイを自転車で走った時に相当悩まされました。

中国はどうだったか。

上海からカシュガルまでの間、犬で本当に怖い思いをしたのは一度だけでした。

それは、ウイグルに入った二日目。

宿代をふっかけられた場所、星星峡を朝一番で出発してすぐの事でした。

ちょうど集落から抜けるか抜けないかの所(こういうゾーンが一番おっかない、、)で、国道の両側から威圧的に吠える犬の

声がしたので、慌てて左右に目をやると、両サイドから一頭ずつ勢い良く僕を目がけて疾走してきました。

吠えずに居たら可愛らしいワンちゃんも、吠えながら、さらには走りながら自分に迫ってくると、なんであそこまで恐ろしいモノに

見えてしまうんでしょう。

犬対策用に常に荷台にくくりつけていた、テントの杭を打ち込む為の金属製のハンマーを始めて手にした瞬間でした。

心臓は口から飛び出そう、いや、少し飛び出ていたのではないかというほどの緊張が走りました。

斜め後ろから二頭が同時に国道に達し、真後ろから迫ってきました。

するとどうでしょう、僕を目がけて走って来た筈の二頭が、並んで吠えながら走ってるうちにお互いに腹が立ったのか、

「仲良く」取っ咬み合い(?)の喧嘩を始めてくれたではありませんか。

僕は一度も振り返る事なく、「来るなよ、来るなよ」と、呪文のように呟きながら速度を下げずにその場から走り去りました。

思い出すだけでもゾクッとしちゃいますけど、犬で怖い思いをしたのはこの一件だけでした。

上海から西安まではほとんど見かける事はなかったのですが、ただ西安から西、犬はけっこう居ます。

田舎の工場、工事現場なんかではかなりの確率で番犬として、大型の犬を飼っていました。

これらの犬はちゃんと鎖で繋がれていましたが、どれも威嚇は怠らない立派な番犬でしたので、吠えられる度にドキッと

しちゃいます。

「アイツ繋がれてなかったら終わりだろ~、、」なんて独りごちながら。

最後に交通事故。

交通事故はズバリ多いです。多発してましたね本当に。

ほとんどの場合はトラックの単独事故、追突事故でしたね。


事故

事故2

事故3

事故4

事故5

事故6

中にはこんな意地っ張りも。

三岔口ーアトシュ7
積荷がこの状態でも走るトラック。荷崩れ間近。

事故に関しては、確かに日本国内を走っていても巻き込まれる危険性は充分にありますが、やはり日本国内よりかは

道路上に潜む危険は多いと言えると思います。

これは中国に限らず、日本以外のアジアの多くの国々に対して言える事でしょうけどね。

日本の常識を持って中国の道を走るなんて到底無理です。

歩行者、自転車優先なんて考えはもってのほか、素直に自動車に優先権を譲渡するのが賢明な手段かと思います。

腹立たしい事もありますが、意地になって危険を近付けるよりかは、心を大きく持って少しでも危険を遠ざけましょうね。



ここでは治安、犬、交通事故の危険性について記してみました。

今回の中国横断に際して、これらの不安材料によって自分が何か被害を被った事はありませんでしたが、それはただ単に

運が良かっただけとも言えます。

中国に治安が悪い場所がない訳もなく、攻撃的な野犬も或いはもっと多く居るかも知れません。

事故なんかは、自分で回避しようがない場合もあるでしょう。

すなわち、自分であらゆる危険を回避するなんて事は不可能です。

自分に出来る事があるとしたら、それは危険を察知する事くらいでしょう。

そして、これこそが自転車旅には大事な要素だと思います。

楽観的にはなり過ぎず、常に自分に迫る危険に対してアンテナを張る事。

その事によって、少しでも危険を回避する事が出来ると僕は信じています。

走り手が危険だと感じる場所こそが危険な場所。

走りたくない、滞在したくないと感じる地域があれば、走る必要もなければ滞在する必要もありません。

危険を察知した自分のアンテナには素直に従い、安全第一の旅にしましょうね!



















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カシュガル

カシュガルの治安状況について、家族から得られる情報と、現地で得られる情報に挟まれながら、自分の判断で

カシュガル入りを決意した訳ですが、実際カシュガルに入ると、人々は普段通りの生活を送っている様に見受けられました。

そして何よりも、町中の人が集まる場所では必ず軍人が警戒にあたっていたので、むしろ安心感をおぼえたくらいです。


カシュガル


カシュガルに入り、エイティガール寺院の前で記念撮影を済ませてから真っ直ぐに向かった場所、それは、

デリックに教えて貰ったホテルでした。

デリックは前にもカシュガルを訪れた事があり、教えて貰ったそのホテル内には旅行会社もあると聞いていたからです。

この時の僕の頭の中には、どうやって上海に戻れば良いのか、その事しかありませんでした。

それは別に、カシュガルの治安状況云々から来るものではなく、帰りの船便のスケジュールを考えての事でした。

阪神ー上海間を結ぶフェリー、新鑑真号で中国に渡ったのですが、帰りも新鑑真と決まっていました。

新鑑真の出航は週に一度。

僕がカシュガルに着いた時点で、次の出航はちょうど一週間後でした。

そして、その便にはどうしても間に合いたかったのです。

特に帰国を急いでいた訳ではありませんが、目標がなくなった状態で一週間以上も滞在を続けるのは僕には少し

しんどい様に思われました。

なので出来るだけ早く、自転車と共に上海に戻る方法を知りたかったのです。

教えて貰ったホテルに行ってみると、そこには外国人旅行者の姿がありました。

それもかなりの人数でした。

カシュガル3

カシュガル4
教えて貰ったホテル、色満賓館。日本語での表記も。

やはりカシュガルは旅行者に人気なんですね。

まとまった人数の外国人旅行者を見るのは西安以来でしたので、それまで続いた緊張から解き放たれた瞬間でもありました。

とにかく、この色満賓館の中の一角にある旅行会社に向かいました。

中では若い女の子の外国人旅行者二人が、流暢な英語を操るウイグル人と話をしていました。

僕は室内に置かれたソファーに腰をおろし、自分の番が来るのを待ちました。

この時の浮遊感は今でも忘れる事が出来ません。

冷房の利いたオフィス。

英語の会話。

机に並んだパソコン。

なんだか自分がその場には相応しくない人間の様に思えました。

自分が居るべき場所はこんな所じゃない。

灼熱の砂漠地帯、それこそが自分の居るべき場所なんだ。

そんな、なんとも不思議な感覚に陥ったものです。

旅の終わりを受け入れるには、やはり少し時間がかかります。

やがて僕の番になり、僕は色々と訊ねてみました。

はなからバスという選択肢は自分にはなかったので、電車か飛行機かでした。

すると、結論は飛行機という事になりました。

電車の場合、手荷物とは別で自転車を輸送する事となり、自転車そのものの上海到着が、乗客の到着の2日から3日後、

稀にそれ以上かかるという事だったので、それでは仮に翌日に電車でカシュガルを発っても、フェリーの出航までに

自転車が間に合わないという事態もあり得るという事でしたのでね。

自転車が間に合わなかった場合、上海で更に一週間を費やさなければならない事態に陥ってしまいます。

それだけは避けたかったので、値は張りますが航空便で上海に戻る事にしました。

しかし、時間に余裕がある人でしたら、迷わず電車を勧めますね。

何故かと言うと、飛行機だと自転車の輸送費がかなり曖昧だからです。

例えばその後の僕の場合、カシュガルから上海に飛ぶには、ウルムチで乗り換えとなりますが、このウルムチでの乗り換えが

厄介なんですね。

トランジットという形ではなかったのです。

つまり、ウルムチで一旦自分で荷物を受け取ってから、再度、始めから搭乗手続きをしなければならなかったのです。

結果どうなったか。

輸送費を二回払う事になってしまったのです。

しかも、一度目はキロ単位での計算だった自転車の輸送費に対し、二度目は自転車そのものでいくら、という形でした。

キロ単位で計算した輸送費の二倍以上の金額を要求されました。

その二回分の輸送費、合わせて1400元。

これは航空会社によっても違いがあるのでしょうが、とにかく航空便での自転車持ち込みは要注意ですね。

ちなみに、夏の観光シーズンで、カシュガルー上海間のチケットは3000元でした。

オフシーズンで10日以上前から予約を取っていれば半額近くで飛べるとの事でした。


チケットを取った(3日後発)僕は、後はもう日にちが過ぎるのを待つだけとなりました。

デリックはカシュガルに着いたら色満賓館に滞在すると言っていたので、彼が到着するまで僕も色満賓館での滞在を

考えましたが、旅行会社で出会った女子二人組に、彼女らが滞在するユースに誘われて、ホイホイと着いて行きました。

このカシュガルのユースホステル、本当に居心地の良い所でした。

何と言っても、それまでの道中でほとんど出会う事のなかったヨーロッパからのサイクリストが少なからず居たんです。

多くの日本人サイクリストが東から西に向けて大陸を走るのであれば、もちろんヨーロッパ勢は西から東へと走りますからね。

東から走ろうが西から走ろうが、サイクリストにとってカシュガルはひとつの中継地点の様な場所なんですね。

キルギスタンから西安を目指すフランス人夫妻。

カシュガルからヨーロッパを目指そうとする韓国人青年。

スイスからカシュガルまで走って来た若いスイス人女性二人組なんてのも居ました。

誰もが皆、旅の途中かこれから旅を始める人間だったので、話をしていると少し寂しい気持にもなりましたが、

そんな人達、同志とも呼べるようなサイクリストに出会えた事をとても嬉しく思いました。

中には、出会ったばかりだと言うのに、カシュガルが僕のゴールだと聞いただけで涙を流し、「良く頑張ったね」

と、言ってくれる人も居ました。

同じサイクリスト同士、自転車旅の素晴らしさだけではなく、辛さも解っているので、そういった言葉は僕の胸を強くうちました。

また、数人のサイクリストを除けば他は全ていわゆるバックパッカー達だったのですが、さすがはカシュガルとでも言うべきか、

そのうちの何人かは、本当に壮大な旅の最中の人達でした。

そういった人達と話すと、実に心地が良いものです。

カシュガルユース
カシュガル、ユースホステル。

カシュガルユース2
ユースの敷地内に入ると早速サイクリストと遭遇。

カシュガルユース3
地図に目を通すフランス人夫妻。カシュガルから西安まで、僕と同じ道を東に向けて走る。

カシュガルユース4

カシュガルユース5
相棒を念入りに洗う。

カシュガルユース6
サイクリストが残したチューブ、ホイール。


カシュガルのユースはもちろんなのですが、カシュガルという町自体、凄く居心地の良い町でした。

カシュガル5

カシュガル7

カシュガル8

カシュガル9

カシュガル13

カシュガル14

こういったカシュガルの古い町並みを目の当たりにすると、相当な距離を走って来たという実感がようやく湧いてきたものです。

完全に違う国に来ちゃってますもんね、、。

でも中心部はやはり栄えてます。

小さな町かと思っていたカシュガルでしたが、実際は近代的な都市でした。

カシュガル12

カシュガル

カシュガル2

カシュガル10
町の中心に建つ毛沢東像。カシュガルにはなんとも不釣り合いな光景。

カシュガル11
人民公園前の広場には解放軍が。

カシュガル6
そんな中でもカシュガルらしさを垣間見る事が出来る。


カシュガルでは三泊したのですが、毎晩が宴会の様なものでしたね。

ユースで同室になった、エルスティンという名のスイス人バックパッカーと意気投合したのが最後、ビール合宿の始まりでした。

でも彼とは実に楽しい時間を一緒に過ごす事が出来ました。

昼間はお互いが別々に行動し、夕方になればどちらからともなく瓶ビールを片手に相手に忍び寄る、なんとも能天気で贅沢な

時間でした。

僕はカシュガルに着いた翌日も、翌々日も昼間には色満賓館に行ってデリックが到着していないかを確認しました。

僕の出発を翌日に迎えてもデリックはまだカシュガルには入っていませんでした。

なので、エルスティンとの最後の「二人宴会」は色満賓館の敷地内にある外国人旅行者向けのレストランにしました。

その日にデリックが到着すれば、そのレストランで会えるかも知れないという思いからです。

そして運命はやはり僕とデリックを再会させるのですねぇ。

レストランに入ってから2時間以上が過ぎた頃、エルスティンが言うんです、

「ケン、ちゃんとそのドイツ人の顔は覚えてるんだろうね?」

そりゃあ覚えてるよと答えると、

「さっきからケンの後ろのテーブルに座ってるうちの一人の話を聞くと、どうもケンが出会ったドイツ人って気がするんだけど」

確かに僕らが入店した時から、僕が背を向ける格好で、隣のテーブルには三人組の客が座ってました。

彼らはドイツ語で会話をし、その会話を理解出来るスイス人のエルスティンが彼らの話を聞いていた訳です。

しかし、あまりにも年齢層が高かったので、最初からその三人組の中にデリックの姿を見出そうともしませんでした。

振り返り、改めて三人組に目をやると、確かに一人だけは他の二人よりかは少し若い男性でしたが、それでも僕が砂漠で

出会ったデリックとはどうしても結び付きませんでした。

しかし、不意に目が合い、何秒か目線を合わせていると数日前の記憶が甦り、向こうの方から、「ケン!?」

と声をかけてきました。

もう、この再会の感動は言葉では到底表す事が出来ません。

砂漠でごく僅かな時間を共有していただけなのに、僕らには知らぬうちに強い強い絆が生まれていたのですね。

お互いを強く抱きしめ合い、目線を交わすだけで気持ちが通じ合いました。

レストランに居た周りの客の目には、かなり怪しい男同士に映った事でしょうね。

しかしこの時、どうしてお互い隣同士に居る相手の存在に気付かなかったのか、それにはちゃんとした理由があったんです。

砂漠で出会った時とは、お互いに顔がまるで違っていたのです。

旅が終わったという安堵感から、それまでは張り詰めていた緊張の糸が途切れ、一気に疲労感に襲われていたんですね。

デリックは十歳くらいは老け込んで見えたし、僕もまた「ケン大丈夫か?」と何度も聞かれました。

過酷な状況に身を投じていた時の方が健康的に見えるなんて。

人の体っていうのは本当に凄いなぁ、肉体と精神は一体なんだなって、その時に強く感じました。

しかし、ビール合宿最後の夜にドイツ人を一人迎え入れたのが最後、歩けなくなるまで飲みましたねぇ。


翌日、僕は夜の便での出発だったので、再びデリックと会う約束していました。

午前中に、ヒッチハイクでキルギスタンへ向かうというエルスティンを見送り、その後デリックと昼食。

二人とも自転車を分解して入れる為の大きな段ボールが必要だったので、昼食後は揃って町の自転車屋さんへ。

カシュガル15
二人でカシュガルの町中を走る。大きな自転車がまるで子供用に見える。

カシュガル16
無事に自転車用の段ボール箱を入手。

カシュガルには数軒の自転車屋さんがあり、二軒目でちょうど良いサイズの段ボール箱を譲ってもらう。

僕はこういった形で自転車を梱包した事がなかったので、デリックに指導を受けながらの梱包となりました。

カシュガル17
上海空港での組み立てを考えると気が滅入る光景。

カシュガル18
最後の詰めは師匠に任せる。

僕の自転車の梱包が終わると、いよいよデリックとの別れも近付いて来ました。

彼も次の日の朝にはカシュガルを発つ事になっていたので、自分の方の準備が残っていましたからね。

この時の別れは、辛いという気持ちよりも、出会えた事への喜びの方が大きかったです。

世界のどこかの道でまた必ず会おう。

そう誓って僕らは別れました。

カシュガル19
別れの直前、デリックと二人で。

カシュガル20
空港までのタクシーを待つ。


僕のカシュガルでの滞在は三泊四日。

それだけの滞在期間でも、カシュガルを好きになるには充分でした。

中央アジアの空気が漂うカシュガル。

東から西へと大陸横断を掲げるサイクリストは、この地から本格的に中央アジアへと入り、東欧へと抜けるのですね。

僕もいつか再び、必ずカシュガルの地に立ち、そこから更に西を目指したいと思っております。





















アトシューカシュガル

アトシューカシュガル
46キロ

そうなんです。

結局、僕はカシュガルまで走るんですね。

アトシュからカシュガルまでは一本道の上、距離も40キロ強なので特に記すべき事はあまり無いです。

なので道に関しては、後ほど画像を少しばかり乗せる事にします。

先ずは何故カシュガルまで走る事となったのか、その説明(弁明)をしたいと思います。


アトシュに入ってから宿をたらい回しにされ、やっとの思いで泊まれる宿を探し出し、全ての荷解きを終えて

部屋に入ったのは21時近く。

200キロ以上走って来た事、宿探しに時間を費やされた事でもうクタクタでした。

一日ほとんど泣きっぱなしだったという事もあって、鏡に映る自分はまるで精気を失っていました。

もうこれだけ疲れると、思考を巡らせる事自体がほとんど不可能に近くなってしまうんですねぇ。

一刻も早くアトシュに入って、カシュガルに関する情報を集める為に走って来た筈だったのですが、もうそんなのは

全て明日に回そう、って感じになってしまいました。

それでも家族とだけは再度、携帯電話で連絡を取り、どういった行動を取るのが最善策かを話し合いました。

とは言っても、自分がすべき事はカシュガルから出来るだけ早く、少しでも離れる事だったので、東へ戻るのに、

バスにするか電車にするか程度の事でした。

ただこの時、僕の心の中では大きな葛藤が生まれていました。

何故か。

それは、アトシュの町に入る手前の事でした。

武装警察が検問を張っていたのです。

アトシュに向かう全ての車両は止められ、運転手は身分証の提示を求められていました。

僕もまた例外ではなく、パスポートの提示をしました。

同時に、ここに来てようやくカシュガルについての情報を得る機会が巡って来たのです。

僕は筆談ノートを取り出し、一人の警官にカシュガルについて訊ねました。

人が複数いる所で筆談ノートを取り出すと、先ず間違いなく取り囲まれるのですが、この時も例外ではありませんでした。

現在カシュガルは安全なのか、封鎖されていないか、外国人が問題無く入れるのかを問うたところ、僕を囲んでいた

警官達は我先にと僕のノートに手を伸ばし、意見を書きました。

そして、それらはどれもが僕の決定を覆そうとするものばかりでした。

現在カシュガルは安全。封鎖などされていない。外国人も問題無く入れる。

アトシュをゴールにすると既に決めていた訳ですが、この検問所での事があり、僕の心は揺らぎ始めたのです。

そんな心持ちのまま、アトシュの夜はふけていったのです。


そして次の日、僕が起きて先ず向かった先、それはバスターミナルでも駅でもなく、町の中心にある広場に駐屯していた

解放軍のもとでした。

この駐屯が、カシュガルでの事件を受けての事なのかははっきりとは分かりませんが、おそらくそうだったのだと思います。

町の中心部には軍人が溢れていたので、筆談での情報収集には事欠きませんでした。

そしてここでもやはり、前日の検問所と同じような、極めて明るい情報しかないのです。

カシュガルまで走ろう。

もう自分に迷いはありませんでした。

そうと決まれば、後はもう家族の心配を和らげるにはどうすれば良いのかを考えるのみです。

再び携帯電話で連絡を取り、アトシュで得た情報を伝えました。

さらに、これはちょっとした賭けだったのですが、外務省のホームページで渡航情報を観てくれと頼みました。

また、僕自身も在中日本大使館に連絡をし、カシュガルに関する情報について訊くと。

結果、カシュガルを含むウイグル全域に対し、渡航の延期を勧める報告はありませんでした。

それにより、晴れて僕はカシュガルを目指す事が出来たのです。


アトシューカシュガル
アトシュからカシュガルまでは僅かな距離。

アトシューカシュガル2
カシュガル行きを決めたとはいえ、少し緊張が残る。

アトシューカシュガル3

アトシューカシュガル4
それまでは手が伸びなかった「高級品」、レッドブル。一気に飲み干し最後のひと踏ん張り。

アトシューカシュガル5
最後にふさわしい道を走る。

アトシューカシュガル6
そして、カシュガル「界」へ。

アトシューカシュガル10

アトシューカシュガル8

アトシューカシュガル7
しばらくは見る事が出来なかった、料金所脇の自転車専用の通り道。

アトシューカシュガル9

アトシューカシュガル11

アトシューカシュガル12

そして、とうとうその時が来る。

アトシューカシュガル14
カシュガルの象徴とも言うべく、エイティガール寺院。

アトシューカシュガル15
ゴール地点に立つ。達成感より、旅を終えた事に対する喪失感の方が大きい。


ここでついに、所要日数51日、走行距離5575キロに及ぶ中国横断の自転車旅は終焉を迎えたのです。

二十歳を過ぎ、バックパックを背負って旅をするようになってから10年。

自転車で旅をするようになってから5年。

最後にどうしても自分が挑みたかった、自転車での中国横断。

それを達成出来た事、確かに僕にとってそれは、何事にも代えがたい幸せです。

しかし、ここで僕が声を大にして言いたい事があります。

それは、危険の伴う自転車旅、特に海外遠征の場合、目標の達成が全てではないという事です。

一番重要なのは、生きて帰る事。

これを置いて他に何があるでしょうか。

とは言いつつも、走り手にはそれなりの「覚悟」がありますからね、これが厄介なところです。

ある程度の覚悟はもちろん必要ですからね。

ただ、度を過ぎた覚悟。

何が何でも自分は目標を達成させるんだ、その結果、自分の身に何かが起こったなら仕方がない!!

いやぁ、本当に難しいところだと思いますよ。

僕自身がそういった覚悟で走っていたのも事実ですからね、、。

でもここで大事なのは、自分に覚悟があったとしても、果たして自分を待つ人間にその覚悟があるのか。

ある訳ないですよね。

待つ人間にとって一番大切な事、それは待っている相手が生きて帰ってくる事だと思います。

国で待っている人間が嫌がるような危ない橋を渡っても、結果的には無事に生きて帰る。

そんなケースの方が確かに多いでしょう。

でも、本当に大事なのは何か。

万が一の事があった場合、自分は良くとも、残された人間はどうなるのか。

それを考えた場合、やはり目標の達成を大前提にするのは望ましくないと思います。

まぁ、僕自身が目標の達成を大前提に走っていたので、なんとも説得力の無い言葉なんですけど、、。

体調を崩したり怪我をしたり、何かしらの危険を本能で察知したり、また、僕のケースのように、治安状況の変化に

出くわしたり、そういった状況に身を置かれた時、どういった判断をするか。

この判断を自分の為だけにではなく、自分を待つ人の為に出来る。

それこそが冒険者に求められる事ではないでしょうか。

確かに目標を達成するのとしないのでは一見、大きな違いがあるかも知れません。

しかし、自分自身の挑戦心に果たして違いは見出せるだろうか。

当初の目標に届かなかった事で、自分の中の、挑戦したという事実が消えてしまうだろうか。

消える訳がありません。

一番重要な事が生きて帰る事だとしたら、その次に重要なのは挑戦したという事実ではないでしょうか。

挑む事の素晴らしさ、それは挑戦者自信が一番理解している筈です。

目標の達成などはその次ではないでしょうか。

なんだか自分自身に言い聞かせているような言葉ですが、この先、海外遠征を目指す者には是非とも伝えたい、

あくまでも僕の考える、「心構え」についてでした。



今回の記事で、上海からカシュガルまでの道のりについての僕なりの詳細情報は終わります。

ただ、カシュガルについてや、中国国内の自転車の輸送、走行中に伴う危険、その他色々、もう少し書きたい事があるので、

中国横断に関する記事は、今後もう少しだけ続きます。






































三岔口ーアトシュ

この区間、ちょっと距離があり過ぎですよね。

三岔口から西、アトシュまで何も無いという訳ではありません。

しかし、僕はどうしても長距離を走らなければならない状況に陥ってしまったのです。

三岔口ーアトシュ
三岔口の朝。

三岔口ーアトシュ
209キロ

僕がどうして三岔口からアトシュまでの209キロを走るはめになったのかは後回しにして、先ずはこの区間の説明から。

三岔口からアトシュまで、200キロ強ですね。

これでもかというほどに、シルクロード、天山南路の醍醐味をを味わえます。

見事なまでの砂漠地帯、無人地帯を走ります。

とは言っても、ちょっとした村、集落を幾つか通り抜けます。

三岔口を出てからちょうど100キロの辺りに、この区間で一番栄えた集落があります。

三岔口ーアトシュ8
三岔口から100キロ離れた集落の入り口。ここまでの100キロ区間は何も無い。

三岔口ーアトシュ9
キンキンに冷えた飲み物も手に入る。至福のひと時。

三岔口ーアトシュ10
国道沿いに商店や食堂が並ぶ。

そして、この集落には宿もあります。

営業しているのかどうかも疑わしい様な所ではなく、ちゃんとした宿でした。

この集落を過ぎると、もうアトシュまで宿はありません。

なので、三岔口からアトシュの区間、キャンプを避けたいならこの集落での一泊となります。

三岔口から100キロなので、距離的にものんびり走ってくればちょうど良いくらいですしね。

キャンプもしたくないけど、100キロの移動じゃあ物足りないね!!

なんて方は、アトシュまでの200キロ強、自分をイジメ抜きましょう!!

その後、この集落から50キロ走って商店が二軒ほどある小さな集落。

65キロで商店と、食堂もある集落がありました。

ただし、これらの集落には期待はせず、最初の集落で泊まるにしても、通過するにしても、そこで食料と水分は充分に確保

した方がいいでしょう。

三岔口ーアトシュ19

三岔口ーアトシュ20
三岔口から150キロ地点の商店。簡易的なベッドでしばし体を休ませてもらう。

三岔口から170キロくらいで料金所に差し掛かります。

ここを過ぎてからが結構きついんですよね。

でもそれは僕が三岔口から一日で走って来たからでしょうけど。

何がきつかったって、アトシュに入る20キロ以上手前から肉眼でアトシュの町を遠くに確認出来るんですよ。

そしてその辺りからはアップダウンを伴う真っ直ぐな一本道なんです。

三岔口ーアトシュ21
この地点からでも容易に町を確認出来る。

三岔口ーアトシュ22
アトシュ手前のほぼ一直線の道路。肉眼では遥か彼方のアトシュが見えているので気が遠くなる。

そして、アトシュに入る直前からは上り勾配に転じます。

また、アトシュに近付けば近付くほどに緑も増えて行きます。

三岔口ーアトシュ23
少しややこしい標識。ここでは駅(站)には向かわず直進。

三岔口ーアトシュ24
こちらの標識で左折。

三岔口ーアトシュ25
そしてアトシュの町中へと向かう。

アトシュまでの道のりは以上の通りとなります。

アトシュでは、それまでのどんな場所よりも「外賓ルール」が徹底されていたので、宿を探すのに苦労するかも知れません。

宿泊を断られた招待所、賓館などで教えて貰った外国人が泊まれる賓館、大酒店に行ってもなかなか泊めては

貰えませんでした。

最終的には、こちらの粘り勝ちでなんとか泊まれる事となりましたけど。



さて、続いては個人的な三岔口ーアトシュ間の走りについて少し記します。

そもそも、この区間では僕はキャンプをするつもりでした。

途中に宿がある集落があるとも思っていませんでしたし、ましてやアトシュまで200キロ以上走る気なんてさらさら

ありませんでした。

朝から150~160キロ走った辺りでテントを張り、翌日にカシュガルを目指そうと考えていました。

なので、水、食料はもう満載してましたね、この時は。

ところがです。

例の、カシュガルでの暴動の話しがありましたよね。

実は三岔口の宿の人間からもそういった情報があったんです。

ただし、それでカシュガルが閉鎖されているとか、そういった事は無いという話でした。

しかし、これで少なくとも僕がデリックから聞いた話は本当だったという事が判明した訳です。

僕には何も情報がないので、三岔口に着いた夜に、念の為に携帯のメールで日本の家族に確認を頼んでいました。

そして次の日、三岔口を出発してどのくらいでしょうか、家族からのメールがありました。

カシュガルはやめて、アトシュをゴール地点に変えろとの事でした。

日本で流れてる情報によると、暴動ではなく、無差別のテロ攻撃が続け様に発生していたそうなのです。

正直、そのメールを受けても最初は特に気にはなりませんでした。

ウイグルだのチベットだの、暴動は頻発しているではないかという気持ちからですね。

ところがその後、西進を続けていると軍の車両が次々と僕を追い越して行くんですねぇ。

カシュガルに向かっているのはもう明白でした。

しばらくすると、家族から再度メールが届きました。

アトシュももう諦めて、とにかく引き返せと。

もう頭の中が真っ白になりました。

そしてここに来て初めて携帯電話の本来の使用目的である、通話を余儀なくされました。

日本にかけて直接の会話。

その会話の中で僕が得たカシュガルの情報、家族がその時の自分に望んでいる行動。

僕は決心を迫られました。

そして、ここで僕はカシュガルは諦めました。

通話を終えると、僕は地面に座り込み、叫び、そして狂ったように泣きわめきました。

カシュガルまで行けない。

理由がどうであれ、それは僕にとっては完全な敗北を意味しました。

悔しくて悔しくて、悲しくて悲しくて。

そして、あくまでもカシュガルにこだわる自分が腹立たしくて。

その時のカシュガルの現状は僕には分かりませんでした。

本当に危ないのか、それともいたって平穏なのか。

しかし、少なくとも自分が一番信じている家族が、僕にカシュガルには行かないでくれと頼んでいる。

僕は、家族の気持ちを踏みにじってまで自分の定めたゴールを目指す人間にはなりたくなかった。

本当は行きたい。何が何でも行きたい。

この時、僕はその気持ちを押し殺しました。

しかし、引き返すと言っても、家族との通話を終えた時点で、三岔口に戻るよりもアトシュに向かった方が近い位置に居ました。

なので僕はこの時点でゴールをアトシュに定め、西進を続ける事に決めました。

アトシュから引き返せば良いと。

そして何より、自分でちゃんとした情報をいち早く得たいという気持ちが生まれました。

情報を得るには、そう、アトシュまで行くしかない。

そう考えて僕はその日のうちにアトシュに辿り着こうと決意したのです。

また、これが最後の移動日になるかも知れないと思うと、もう走らずには居られませんでした。

無我夢中で走りましたねぇ、あの時は。

涙はいつまでたっても頬を伝い続けていました。

でも、この区間は本当に素晴らしかったです。

走っているといつの間にか涙は、悔し涙ではなく、感動の涙に変わっていました。

僕はここに来てようやくシルクロードと心を向かい合わせる事が出来たのです。


三岔口ーアトシュ11

三岔口ーアトシュ15

三岔口ーアトシュ16

三岔口ーアトシュ14

三岔口ーアトシュ18
最後だと思うと景色はそれまでとはまるで違った。

三岔口ーアトシュ26
夕陽に包まれたアトシュの町。















アチャリー三岔口

アチャリー三岔口
94キロ

砂漠の中の一本道。以上。

で、済んでしまう様な区間なのですが、一応少し書きますね。

僕が一泊した、314号線と、ケルピンへと向かう省道との分岐点近くのスタンドから三岔口までが94キロでしたので、

仮にケルピンで一泊しても三岔口までは120キロ程度で済みますね。

出発地点から45キロでこの区間で唯一の集落があります。

商店、食堂が数軒ある程度です。

この集落を抜けると、少しばかりの上り勾配が続きます。

上り切ると、後は三岔口まで一直線です。

若干の下り勾配ですので、三岔口にはあっという間に着いちゃいました。

向かい風だったらそうは行かないでしょうけどね。

こんなところです、本当に。

ちなみに、仮に三岔口の南にある町、巴楚をケルピンから目指したとしても、140キロ程度の移動距離で済む筈です。

僕は朝一番にアチャリを発ち、昼過ぎには三岔口に着きました。

そんな僕の一日を記します。

前日に、店員用の休憩室で夕御飯までご馳走になっていたので、同じく前日に中国公路の方で貰った丸ごとのスイカを、

歳も近く、一番仲良くしてくれた青年にお礼として手渡してからの出発となりました。

これはお礼ばかりではなく、丸ごとのスイカを積んで走る訳には行かないという理由もありましたが、、。

驚く事に、テントの中は真夜中過ぎまで暑いのに、朝テントを出るとひんやりとしているんですねぇ。

道も上等ですし、快調に進みました。

そして、出発してから45キロ地点の集落ですね。

スタンドでカップラーメンとスナック菓子をたらふく詰め込んでいたし、水もたんまりと積んでいたので、この集落は通過。

と思っていたら、国道沿いから少し離れた位置ににあった商店の前に、なにやら大男の姿が。

自転車をいじっている。

間違いなくデリックだ!!

僕は国道を降り、砂利の空き地を抜け彼の元に。

前日に少し会話を交わしただけの関係なのですが、顔を合わせたお互いの表情の緩み様を見て、更に表情が緩んでしまう。

なんとも不思議で、なんとも心地の良い感覚でした。

デリックの足元には、空の紅茶のペットボトルが数本置かれていました。

どうしたのかと訊ねると、前日に大変な目に遭っていたのだと彼は言いました。

大変な目とは、水分が底をついていた事でした。

話を聞くと、アチャリの集落で3リッターの水分を入手したまでは良いのだが、その水が冷たかったせいで、喉も乾いて

いないのに、美味しさのあまり早々に全て飲み干してしまったそうなのです。

その時点でアチャリからはすでに30キロ離れていて、戻る訳にも行かなく、また、その先に水分を入手出来る場所があるのか

も分からないまま水分無しで走り続けるのもどうかと考えたあげく、彼はさっさとテントを張り、朝まで動かずに居て、

朝の涼しさの中で進もうと決めたそうです。

喉の渇きに耐えながら、なんとか眠りに着き、そして夢を見たと。

それは、自分が水辺に座り、キンキンに冷えたアイスティーを飲んでいる夢だったらしいんです。

それを聞いた時はもう笑いが止まらなくなってしまいました。

そして、彼の足もとにある、空の紅茶のペットボトルを見て合点がいきました。

結局、彼がテントを張った地点から、僕らが再会した集落までは15キロもなかったらしいです。

なので彼は、前日に早々と移動をやめた事を悔やんでいましたが、おかげで世界一美味いアイスティーを飲む事が出来たと

自分の失敗を皮肉っていました。

夏のタクラマカン砂漠、最低でも5リッターは水を積んで走らないとダメですね!!

僕はコルラー輪台間での失態があったので、それ以降は念の為、大体7リッターくらいは積んでいました。

さすがに7リッターだと底をつく事もありませんでした。

そしてこの時、デリックからあまり良くない情報を得たのです。

それは、ウイグル南西部の町、ホータンと、まさしく僕らが目指すカシュガルで暴動があったとの事でした。

それも数日以内に。

彼はそれを、ウイグルに滞在している知り合いからの情報で、間違えは無いと言いました。

そして僕はやがてこの情報に翻弄されるんですねぇ。

ここでも、走る道は同じですが、僕とデリックは別々にカシュガルを目指しました。

またきっとカシュガルで会える。

デリックの言葉を背に僕は走り出しました。

完全なる無人地帯を西に向けて。

そして三岔口に入りました。

ちょっとした集落だと思っていたのが、小さな町と呼んでも良いくらいにそこは栄えていました。

そもそも僕は、この日はさらに西進し、キャンプの予定でしたが、この三岔口の空気に触れると、どうしてもそこで一泊したい

という気持ちになりました。

なんとも独特な雰囲気なんですね、三岔口は。

T字路を中心に出来た、北側に荒立った山々を置く小さな町、といった感じでしょうか。

314号線から省道が一本南に延びていて、そちらで巴楚に向かいます。

この省道に乗って、巴楚経由でタクラマカンを抜けてカシュガルまでというルートも可能です。

ただ僕はここまで来たらもう最後まで314号線で走ってやるといった気持ちでしたのでね。

三岔口での一泊などは考えてもいなかった訳ですが、町の雰囲気にすっかり心を奪取されてしまったのと、

なんと言っても宿が豊富にあった事が決め手となり、三岔口での宿泊を決意しました。

314号線と省道とのT字路の一角に小さな賓館が一軒あったので入りました。

久しぶりに「まとも」な値段で泊まる事も出来ました。

三岔口は本当に良い所でした。


アチャリー三岔口

アチャリー三岔口2

アチャリー三岔口3
日の出と同時に出発。

アチャリー三岔口5
出発から45キロ地点の集落。

アチャリー三岔口6
ここでデリックと再会する。

アチャリー三岔口4
レンズを向けられ少し緊張気味。

アチャリー三岔口7
集落を抜け少し上ると、三岔口まではもう近い。カシュガルまで285キロ。

アチャリー三岔口8

アチャリー三岔口9

アチャリー三岔口10

アチャリー三岔口11
無人地帯を走る。西へ、西へ。

アチャリー三岔口12
三岔口へと入る。

アチャリー三岔口18

アチャリー三岔口17

アチャリー三岔口16
巴楚方面、カシュガル方面への分岐点とあって、思いの外に栄えている。

アチャリー三岔口13

アチャリー三岔口14
日陰で涼むトラック運転手達。一番左の彼には、前日に逆ヒッチハイクを受けたが、三岔口到着は彼が後。

アチャリー三岔口19
三岔口のT字路の一角にある、「交通賓館」。一泊40元。

アチャリー三岔口20
着た服は大概その日のうちに洗ってしまう。一晩あれば容易に乾くので、ほぼ毎日が同じ服装になる。

アチャリー三岔口21
食あたり以来、久しぶりのビール。その美味さ、尋常ではない。









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